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特別展スリランカ~輝く島の美に出会う~

特別展「スリランカ-輝く島の美に出会う」
2008年9月17日(水)~11月30日(日) 表慶館
主催:東京国立博物館、読売新聞社、スリランカ民主社会主義共和国文化省
展覧会サイト:http://www.serendipity2008.jp/

に行ってきました!

展覧会の出展は、

第一章アヌラーダプラ時代(紀元前3世紀~後11世紀)54点
第二章ポロンナルワ時代から諸王国時代(11~16世紀)18点
第三章キャンディ時代とそれ以後(16~20世紀)74点

レプリカ16点、写真パネル33点

と、多くもなく少なくもなく、
スリランカ初心者にはちょうどよい規模のものだったと感じました。
 
その多くは、コロンボ国立博物館からの出展で、
最も多かったのが仏像、次にヒンドゥー神像、そのほか工芸品、貨幣などがあり、
歴史の変化に即しているのでとても分かりやすいものでした。
もし、スリランカに行けばこれらのものを見るには幾日かの時間がかかってしまうと思われます。

私自身もコロンボ博物館に行ったことがあるのですが、
日本語での詳細な説明のおかげで今回やっとイメージと内容が合った為、とても有意義なものとなりました。

私は知らなかった、、、

仏陀の頭の上にのっかっているものがシラスパタというものであることや、

日本でみかける仏像が構える印はスリランカでは相当めずらしいことや、

アヌラダープラ時代の仏像のサンガティ(衣)のひだの’なみ’が
キャンディ時代には細かい’なみ’になったことや、

スリランカでも密教が伝わっていたことや、

昔の寺院は造幣所を兼ねていて多くの貨幣がみつかったことや、

アヌラダープラ後期から日本と同じように土着の信仰(ヒンドゥー)と仏教信仰を折衷して、一つの信仰体系として再構成(習合)してきたことや、

スリランカでみたバスの運転手さんが信号待ちの時に噛んでいた葉が大昔から噛まれて人々が酩酊していたことや、

などなどが私の頭の中にふわふわと浮かんでは消えていきました。
再渡蘭までにもうちょっと知識を増やそう!そう決意した一日となりました、、、

恒例のスリランカフェスティバルに行ってきました!

 13日、14日にスリランカフェスティバルが代々木公園で開催されました。今回私は、2日目の14日に行ってきましたので様子などをお伝えいたします。天気予報では曇り時々雨ということで少々不安でしたが、晴天までいかなくとも比較的良い穏やかな一日となりました。会場は前回よりも飲食店の件数も増えて、本場そのものの様々なスリランカ料理店が軒をつらねていました。物産店の中にも、スリランカ料理に欠かせないスパイスやココナッツミルク(パウダー)、日本で売られていないウッドアップルジャム、キトゥルハニーその他多くの食品があるお店、趣向を凝らした素敵なパッケージの紅茶店、とてもかわいい動物のポーチやぬいぐるみなどで有名なBAREFOOTやアクセサリー・バッグ・アジアン雑貨のお店などがあり、どこもとても個性的であきませんでした。その中でも今年目を引いたのは仏教マンモス高校アーナンダの在日同窓会で、会への入会を募っているようでした。スリランカの高校のコネクションはとても強いそうで、国の情勢不安のためか多く海外へと散るスリランカの人々の心の支えとなっているようです。(私も帰ってから母校の校歌をダウンロードしました。(笑))そして中央のステージでは、ウィッキーさんによる大抽選会、今年は2つの舞踊団(チャンナウプリ、ムディヤンセ・ディサナーヤカ)で盛り上がったスリランカのダンス、日本の太鼓演奏(ひさおの会、深沢高校)、マジックショー(横浜マジカルグループ&日立マジック研究会)、スリランカ大使(ウヤンゴダ大使)と仏教の歌で有名な歌手のイシャーク・モヒディンベッグとポップ歌手サマンダ・シルバのバンドによる音楽の祭典と大変な盛り上がりようで、とくに夕方から始まったファイナルのバンド演奏にあわせて、最後のこの一年に一回の祖国の大イベントのライブの為にだけきたと思われる、のりのりのスリランカの若者達がわんさかと現れ、舞台上や前で踊り日本人をも巻き込んでいました。舞台の後ろの方でみていた年配の方達がその熱に圧倒されつつそこを離れずにみつめていた様子や、国籍関係なく楽しく踊って遊ぶ子ども達の姿が印象的でした。日本のために労働力を提供するこれからのスリランカの人々とそれを必要とする落ち着きはじめた日本の人々の目に見えない交流を感じる夕べとなりました、、、。ということで楽しいスリフェスの一日が過ぎ、ステージにあわせて遅くまでやっていた飲食店でカトレットやチャイニーズロール(スリランカのコロッケのような揚げ物)を食べながら帰りました。一年に一回だから楽しいのかもしれませんが、半年に一回あればいいのになと今年もまたそう思ったのでした。以上、スリランカフェスティバルの2日目のリポートでした。

私とスリランカの出会い

私が一番初めにスリランカと出会ったのは、2000年のことでした。
職場で一緒に働いた人達と仲良くなったのがきっかけでした。
彼らと話した言葉の中でも、印象的なものがありました。

『あなたは、JRを知っている?』
『JR?』
『スリランカの大統領の名前だよ。昔、日本が植民地にならないように、スピーチをしたんだよ。』
『そうなの?全然知らなかった、、、』
『本当に?』(相手は、かなりショックのようだ、、、)
このことは、私の頭のなかに大きく残っていたので、いつしか、スリランカのことには目がいくようになりました。後に、見つけたある日本人の本の中に、訳がありました。

それは、スリランカと日本間にあるエピソードについてのことでした。
第二次世界大戦の終戦後の1951年、サンフランシスコでの、日本との講和条約調印式でのスリランカの初代大統領は、スピーチで、
『憎しみは憎むことによって消えず、愛することによって消える。すなわち、この言葉こそ、仏陀の信条なのだ。この条約は戦いにうち負けた敵(日本)に対して寛容な内容である。我々は、日本に対して友情の手をさしのべる。人類の歴史のこの章をとじるにあたって、今書いている最後のページが新しい歴史の始まりでもある。また、明日書く第1ページに、日本と我々が、ともに手を携えて、人類の生命の尊厳を十分に満たし、平和と繁栄に向かって前進することを願っている。』(2004年『スリランカを愛す だから、、、』中山茂氏より)といっています。
 つまり、彼は、国の代表として、5世紀にも及ぶ植民地支配に打ち勝ち1948年に独立したスリランカの経験から、日本がアメリカの植民地になる可能性を払拭しようとしたというものです。このスピーチは、確かにアメリカの日本への直接の植民地支配から救ったものといわれています。

ということで、2002年には、日本とスリランカは外交樹立50周年を迎えました。

こんな話があったとは、、、知る人ぞ知る?!

参考:スリランカの初代大統領 → J.Rジャヤワルダナ氏(当時セイロン政府の大蔵大臣)